鳥取市の地域文化活動にも尽力

祖父・璋也の遺志を受け継ぎ、地域文化活動にも尽力しています

民藝や鳥取砂丘の天然記念物指定による保護活動、仁風閣の保存と重要文化財指定などの文化運動の中心人物であり「しゃぶしゃぶ」という料理を考案したことでも知られる吉田璋也(よしだ しょうや)。その彼を祖父に持つ私自身も、中心市街地活性化事業活動などの地域文化活動に努めています。

鳥取市の地域文化活動にも尽力

耳鼻科の医師であり、民藝や地域文化活動を行ってきた祖父の吉田璋也。鳥取市の名誉市民でもある祖父の活動を後世に受け継ぐために、鳥取民藝美術館館長、たくみ割烹店社長も兼任して活動しています。たくみ割烹は『しゃぶしゃぶ』の原案である「牛肉のすすぎ鍋」発祥の民藝割烹です。

鳥取市の地域文化活動にも尽力

放浪画伯である山下清を指導した精神科医の式場隆三郎は祖父の親友で、山下氏は昭和31年に吉田家にしばらく滞在していました。当時3歳だった私は、鳥取砂丘のデッサンに同行しました。余談ですが『暗夜行路』などで有名な白樺派作家である志賀直哉とも交流がありました。日本初の民芸専門店「たくみ工芸店」を昭和7年鳥取に開業しました。翌年東京銀座にその支店として「たくみ」を開業しました。戦後に「銀座たくみ」として独立して現在に至っています。

祖父や父から受け継いだ心を大切に、地域のため、患者さまのために尽力する姿勢を見習いながら、広く後の世代に広めていけるよう努めております。

父の死後、自分の置かれた立場を考え呆然とした

鳥取市の地域文化活動にも尽力

内科医であった父が民藝館長をしていましたが、平成2年に他界。民藝関係の仕事を私が引き継ぎました。

それまで歯科の仕事だけを考えてきた私の生活は一変しました。また祖父の築いてきた事業の大きさとそれを1人で引き継いだ父の苦労がわかり、自分の置かれた立場を考え呆然とする時期もありました。

診療時間の長い歯科医師の仕事と両立させることは、受け継いだ当初は困難に思ったこともありましたが、現在では地域の有志の方々と一緒になって運営をさせていただいております。すべて無給の文化活動です。医院とは直接の関係はありませんが、関係者の方々からは院長より館長と呼ばれ、親しくさせていただいております。

いろいろな業種の方との出会いが刺激に

鳥取市の地域文化活動にも尽力
旧吉田医院内部

テレビ、雑誌などの取材を受けることも多く、そういう関係からかNHKやマスメディアの患者さまもいらっしゃいます。テレビや新聞に載ると「先生、観ました!!」と、こちらがびっくりするくらい患者さまがとても喜んで声をかけてくださいます。

また、中心市街地活性化事業活動にも関わっており、元鳥取県知事の片山喜博氏は、民藝に造詣が深く、また民藝ファンでもあり、知事室にお邪魔したこともありました。湖山池畔の鳥取民藝美術館別館『阿弥陀堂』で片山ご夫妻や石破茂氏と月見会を開催したこともありました。

このように歯科だけでは到底出会えないさまざまな業種の方との出会いがあり、とても大変ですが良い刺激を受けております。

祖父の思いがスタッフにも伝わり、医院の魅力に

開業当初は両親も健在でしたし、スタッフも患者さまも民藝についての知識も豊富でした。開業後30年以上経つとスタッフも入れ替わり、若い世代にうまく説明できていないのではないかと危惧していましたが、祖父の母校である小学校に通うスタッフの子どももおり、偉人の卒業生として小学校内に写真が飾られ、授業でも取り上げられていると話してくれ、うれしく思いました。

また、別のスタッフは民藝に興味があり、長い期間ご来院いただいている患者さまと民藝について話をするなどコミュニケーションはバッチリです。和やかな会話が聞こえてくると、今日も笑顔で帰っていただけたとホッとします。そのスタッフにはとても助けられています。

祖父から受け継いだ遺志が身近なスタッフにも伝わっていると思うと自信となり、仕事にも集中でき、医院の魅力になると感じています。今後もこの魅力をさらに深めるように努力していきたいと思っています。